2012/12/22(土)僕がはじめてついた嘘


もうこの年になると、子供の頃の記憶というものがあまり残っていないのだけれど、自分がついたはじめての嘘というのは、とてもよく覚えている。

もちろんその嘘が本当にはじめてついた嘘だったかといわれると自信はないのだが(「もう泣かないって約束したでしょ!」みたいな嘘はいっぱいあると思うし)、記憶にある中では、それがはじめてついた、意味のある嘘だったと思う。



僕が子供の頃、たぶん僕が生まれる前から、両親は家からちょっと離れた河原の近くに畑を借りて野菜などを作っていた。母親の自転車の荷台に乗って畑へついていくことがたまにあった。その畑の隅には、トタンで屋根を作ったクワや野菜の支柱などをしまっておくちょっとした場所があり、そこの奥を覗きこむと、必ず大きなヒキガエルがいた。朝から畑にいく日は、お昼にホカ弁屋で買ってきたから揚げ弁当を畑で食べるのが、小さかった僕にとっては、ちょっとしたイベントだった。

幼稚園児の頃までは母親の横で大人しく畑仕事の真似事をしていたと思うけれど、小学生にもなると、すぐに畑から飛び出して、土手沿いのあぜ道を挟んですぐ横を流れている川で釣りをしている人を見ているようになった。今考えると、「釣りをしている人を見ている」っていうのは、相当高度な暇のつぶし方だと思う。

門前の小僧じゃないけれど、当然そのうち自分でも釣りをやりたくなった。はじめて買った釣竿は、近所のロヂャースというディスカウントショップで買った、千円だか二千円だかの振出竿だ。たしか4.5メートルくらいあったと思う。

お小遣いを貯めて買ったその竿は、小学生低学年の僕が使うにはちょっと長すぎたので、竿のお尻部分の蓋を外して、竿の先端側の2.4メートルくらいだけを抜き取ってよく使っていた。この雑な竿の使い方は、テナガエビなどを釣るときに今でもする。仕掛けの作り方は、釣りをしている人が教えてくれたり、小学校の図書館で借りた「つり入門」みたいな本を読んだりして覚えた。

必要最低限の道具を最安値で揃え、畑で掘ったミミズをエサにして、畑近くの川にある水門の縁に腰を掛けて竿を出す。それが僕にとっての釣りの原風景だ。

たまに父親や兄が隣になることもあったが、だいたいは一人で竿を出していた。といっても、釣りは本当に一人だとつまらないので、先客の釣り人が見える程度の場所に構えて、その人が釣ったり自分が釣ったりすると、ちょっとした会話なりアイコンタクトをする。それが楽しかった。



この日も昼飯後に母親と畑へといくと、畑仕事なんてなにも手伝わずにすぐに川へといって竿を出し、小魚を釣って喜んでいた。その川で僕を相手にしてくれた魚は、クチボソというニボシくらいの小さな魚がほとんどで、たまに10センチくらいのフナが釣れると、それはもううれしかった。川の中の見えない魚を釣り上げるというプロセスには、見える魚を網ですくうのとは、一味も二味も違う大人びた喜びがあった。

水門から流れる川を挟んで向かい側には、長い竿を出したおじいさんが一人いたけれど、そっちはまったく釣れる様子がない。練エサというマッシュポテトみたいなエサを使っているようだが、何度も何度も同じ場所にエサを打ち込んでるばかりで、一度もアタリすらないようだ。子供心に「あのおじいさん、釣れなくてつまらないだろうから、僕のミミズをあげようか」と思ったりした。今考えると、相当余計なお世話だ。

そのまま時間は過ぎてゆき、僕は飽きない程度に小魚を釣り続け、そのおじいさんはなにも釣れないまま夕方を迎えた。

そろそろ帰ろうかなと思ったその時、おじいさんの竿先がビシッと上がり、そのまま竿が大きく曲がった。大物だ。

僕は釣りが下手だと勝手に思っていたおじいさんに魚が掛かったことびっくりした。すぐに自分の竿をその場に置き、水門を回ってそのおじいさんのところに走って行った。

おじいさんは、その魚とのやり取りを楽しむように、ゆっくりゆっくりと時間を掛けて丁寧に寄せ、タモ網まで魚を上手に誘導した。釣れたのは30センチを超える大きなコイだった。僕が今までにこの釣り場で見た中でも一番の大物だ。

その隣であっけにとられている私を見て、おじいさんは「ようやく寄ってきたな」と笑ったのを覚えている。これはコイが寄ってきたという意味だと当時は思っていたが、今思うと、寄ってきたというのは僕に対してのことだったのかもしれない。

おじいさんはエサを一か所に打ち続けることで、夕方の魚の食いがよくなる時間に合わせて魚を寄せて、見事一発で大物を仕留めたのである。この一瞬のために、何時間もエサを打ち続けたのだ。高度な戦略を張り巡らせた釣りだったのだ。このおじいさんが釣りの下手な人だと思っていた自分がとても恥ずかしい。僕もこういうかっこいい釣りをしたいと思ったが、未だにまったくできていないでいる。たぶん器が違うのだろう。



おじいさんはタモ網の中で釣り針を外して、しばらくそのコイを眺めた後に、「これ、持っていくか?」と僕に聞いた。僕は迷わずに「うん!」と答えた。

スーパーの袋に川の水と一緒に入れてもらったコイを持って畑に戻った僕は、それを母親に自慢げな表情で見せた。

「これ、自分で釣ったの?」

「…うん!釣った!すごいでしょ!」




そのコイを家に持ち帰ると、同時期に釣りを始めた兄が目を丸くして、「針は何号を使ったの?」と聞いてきたので、正直に自分が使っていた釣り針の大きさを答えた。その針はニボシサイズの魚を相手にする針なので、米粒のようにとても小さく、結んである糸も細く、とても30センチのコイが釣れるようなものではなかったが、釣りの知識が僕と同程度だった兄は、「大きな針で小さな魚は釣れないけれど、小さい針で大きな魚は釣れるんだな!」と、素直に関心してくれた。心がモヤモヤとした。

そのコイは、家にあった60センチ四方くらいの黄色いプラスチックケースで数日飼われた後、母親に味噌汁にしてもらって食べた。「鯉こく」というやつだ。

作ってもらった鯉こくは、少し泥臭くて、ちょっと生臭くて、子供だった僕の口には合わなかった。そう感じたのは、自分で釣っていないのに、釣ったと家族にいってしまった罪悪感のせいもあったかもしれない。

僕が食べないでいると、父親が「自分の息子が釣ってきた魚」だと思って、おいしそうに全部食べてくれた。僕は嘘をついたんだと強く思った。今思い出してもモヤモヤする。




これが、僕がはじめてついた嘘である。

なにぶん昔の話なので、細かいディティールは書きながら作ったけど、だいたいこんな話だったと思う。

こんなこと、家族の中で誰も覚えていないと思うけれど、懺悔だと思ってここに記してみた。

この時以来、嘘を全くつかない子供に育ったかというとそうでもないが、何の因果か釣りの記事を書いたりするライターになったので、せめて記事の中では嘘を書かないようにしている。



買い物してして

こういうの好きかな