冬のクワガタ


俺はコクワガタのオスだ。オオクワガタのようなカリスマ性もノコギリクワガタのようなギザギザの角もないが、俺だって立派なクワガタだ。この角に挟まれればそれなりに痛いし、樹液だって舐める。クワガタとしての誇りを持ったコクワガタなのだ。そんな俺だが悩みもある。なぜか不眠症になってしまった。普通のクワガタなら秋になる前に、寿命で死ぬか枯れ木の中に適当な寝床をつくって来るべき次の夏を待つのだが、俺は不眠症だ。冬眠なんかできない。冬眠ができない以上は夏と同様に過ごすしかない。

冬を生きるクワガタほど孤独な生活はない。この森の中には夏にクヌギの樹液を奪い合ったカブトムシやスズメバチなどはもういない。あれほどうるさく鳴いていた蝉さえもぱったりといなくなった。森の中でたまに出会うのは口をきかない蝶のさなぎやカマキリの卵達ぐらいなものだ。まあ俺達を捕まえにきていた人間のガキどもを見なくなったのが救いだが。たまに冬眠中のオオクワガタや幼虫を探しに来る昆虫マニア達に出会うが、そいつらは俺みたいなコクワガタを相手にしないので問題ない。

いつものように落ち葉の敷き詰められた雑木林を残り少ない樹液のでる木をを探して歩いていると、一匹のクロカナブンに出会った。そいつは夏によく俺と樹液を奪い合ったヤツだ。久しぶりに生き物らしい生き物に出会えたうれしさを隠して話しかけたのだが、どうも様子がおかしい。まあこの季節にうろついているクロカナブンにまともなヤツはいないだろうが、それにしてもおかしい。夢遊病者のような目で俺を見つめている。話を聞いてみると、こいつは俺みたいに不眠症だから冬眠しないのではないそうだ。ただみんなが当然のように冬眠することに疑問を持ち、冬眠しないとどうなるのか、誰も見たことのない冬の森はどんななのかを知りたいがために、眠いのを我慢しているそうだ。なかなかアナーキーなヤツだ。

クロカナブンは一人だといつか寝てしまいそうなので、一緒に行動して欲しいという。断る理由なんかない。その日から俺達は一緒に行動することになった。コクワガタとクロカナブンの奇妙な組み合わせだが、俺は話し相手ができたことが単純に嬉しかった。

俺達は旅に出た。住み慣れた雑木林を出て東京を目指した。なにがしたくて東京にいくというわけではないが、少なくとも冬の雑木林よりは楽しいだろう。

東京へいくのに俺達の足や羽では何日かかるかわからないので、車をヒッチハイクをする。ヒッチハイクといっても、昆虫のすることだ。ナンバーや積み荷から東京へいきそうなトラックなんかを探して、勝手に荷台に乗って東京を目指すのだ。最初は渡り鳥にでも載せていってもらおうと考えたのだが、よく考えたら渡り鳥に食べられて終わりだ。胃袋の中で東京に運ばれても嬉しくない。

食べ物は高速のパーキングエリアなどでゴミ箱をあさり、缶ジュースの残りなどをいただく。一度りんごを運ぶトラックに乗った時は腹一杯りんごをいただくことができたが、トラックが急ブレーキをかけた拍子にリンゴに押しつぶされそうになったのにはまいった。危うく傷物のリンゴとペシャンコのクワガタになるところだった。

トラックに乗っている間、俺達にできることはなにもない。トラックが東京に行くことを願ったところで神様が俺達虫けらの願いを聞いてくれるとも思わないので、クロカナブンと好きな昆虫や好みの樹液などのたわいもない話を旅中していた。

雑木林を出て一ヶ月が過ぎた。この頃になるとクロカナブンと俺は親友と呼べる間柄になっていた。少なくとも俺はそう思っていた。俺はクロカナブンがいない生活はもう考えられなくなっていたが、それはクロカナブンも同様だろう。今まで一匹狼のコクワガタとして生きてきた俺がクロカナブンとつるむことになるとは。さあ、もう少しで東京だ。今はこいつと東京での生活をいろいろ話し合っている時が一番楽しい。しかし、少し気になることがある。どうもクロカナブンが弱ってきたような気がする。本当ならとっくに冬眠しなければいけない季節を気力だけで過ごしてきたのだから、そろそろ体にガタがきてもしょうがないだろう。しかし、俺は相変わらず元気だ。もしかしたら俺は不眠症なのではなくて不老不死になったのだろうか。神様にそんなことを頼んだ覚えはないのだが。

十二月になって、やっと俺達は東京へ搗いた。クロカナブンは旅の疲れと冬眠を拒んでいることからくる肉体的なストレスでもう体中はぼろぼろのようだ。残念だがもう少しで死ぬのだろう。しかし、こいつは森をでて旅にでたことに対して、後悔を一切しない。たとえこの旅のために死ぬことになろうと、クロカナブンのオスとして、自分がしてきたことに対して絶対の誇りを持っているのだ。そんなクロカナブンに対して俺にできることはせめて隣にいてくだらない話をしてやれることだけだった。

東京にきて、俺達はなにをしたのかというと、ずっと東京タワーの一番高い展望台から遙か向こうのふるさとがある方向を眺めていた。これはクロカナブンの希望で、ふるさとを高見の見物しているのが一番楽しいのだと笑いながらいっている。もう移動するのも辛いのだろう。まさに虫の息だ。

俺はクロカナブンが死ぬときまで一緒にいてやろうと、隣に腰を下ろして外を眺めていた。もうなにかを話す必要もない。お互いがそこにいればそれで満足だった。クロカナブンの体が乾いていくのがわかる。

その日は朝から今年一番の冷え込みだった。ふと窓越しに空を見上げているとなにか白いモノが雨のように降ってきた。冬を知らなかった俺が、その白いモノが雪であると気づくのに少し時間がかかった。話しかけようとクロカナブンをみると、満足げな表情で死んでいた。東京の雪は俺達の旅を締めくくるにふさわしかった。

俺はクロカナブンをツノで挟んでエレベーターに乗り、久しぶりの地上に降りた。そして、街路樹のあるところまでいき、まだ若いイチョウの木の下に穴を掘ってクロカナブンを埋めた。すぐに雪が地面を隠した。俺はイチョウの木に登り、幹にクロカナブンの名を角で刻むと、黒い羽を久しぶりに広げてその場から飛び去った。

それからしばらく、俺は東京の街をあてもなくさまよった。どうやら俺は本当に不老不死になったらしく、どんなに冬が寒くても死ぬことはなかった。これからどれだけの時を過ごすことになるのかはわからないが、クロカナブンがそうであったように、後悔をしない生き方をしようと思う。俺はクリスマスイブの日にある男に捕まった。

二センチほどの土とクヌギの枝と一切れのりんごの入ったプラスチックケースに入れられて、俺はある大きな病院の一室に運ばれた。そこには俺を捕まえた男の娘が入院していて、俺を見て少女はにっこりと笑った。クリスマスプレゼントとして渡された俺を、少女はとても大切に育ててくれた。少女にとって、冬を生きるクワガタは生命力の象徴に写ったのだろう。フタをしていないプラスチックケースなどすぐに逃げようと思えば逃げられるのだが、とりあえず、俺はこの少女が元気になるまではここでいることにした。

ちょうど俺がここにきてから一年後のクリスマス、東京タワーでクロカナブンを銀杏の木の下に埋めた日と同じような雪が降っていた。父親に手を握られて少女は死んだ。その死に顔はなぜかクロカナブンに似ている気がした。俺はしばらく死んだ少女の父親と二人で暮らした。3月、この冬の最後であろう雪が降った日、俺はまた旅へ出た。

買い物してして

こういうの好きかな